深刻な苛めも、こういうところから始まるのです
自分が幸せではなく、
むしろ、心に何か抱えているとき、
あるいは、不幸続きのとき、
それでも、
人の幸せを心から喜んであげられる人は、
とても少なくなります。
何年か前、
親子でビックリしたことがありましたね。
友達だと思って、仲良くしていた人からの、
突然の手紙。
正確にいえば、匿名の手紙でしたが、
筆跡その他から、
ある人であることは明らかでした。
名乗らないばかりか、
自分は、以前に遠くに引っ越したあなたの友達です、
と架空の設定までして、
自分はあなたが嫌いです、ならばともかく、
いろいろな同級生の名前を挙げて、
○○さんもあなたが嫌いです、
△△さんもあなたが嫌いです、
私たちに付きまとわないでください、
迷惑です、
と書いてきた卑劣さ。
こんなに小さい子が、
ここまで卑劣なことを思い付き、
悪びれずに実行し、
しかも、自分の仕業だとばれないと思っていることに、
母は、心底、驚愕しました。
(親御さんは、
自分の子がそんなことをしたとは知らないはずだし、
伝えても信じない、もしくは自分の子を守るはずです)
その子は、あなたに友達をとられてしまった、
と思っていること、
何かにつけて、恵まれていてズルい、
と思っていて、
そういう行動に出たのだろうということは、
推測できましたが、
子供だからといって、
そういうことを平気でする子を、
母は許せなかったし、
(証拠は、指紋も含めしっかりと残してあります)
その想像力の欠如と、自己中心的発想は、
末恐ろしいと思いました。
まあ、SNSを使わなかったのが幸いというか、
そこまで知恵が回らないくらい、
幼かったことが、救いといえば救いでしたが。
教育者としては、
その子の心の闇のようなものを、
サポートしてあげないと、
将来事件を起こしかねないと思いましたが、
一方で、自衛も必要だ、
と強く思いました。
羨ましい、
自分の大事なものを奪われて悔しい、
という気持ちは、誰でも程度の差はあっても、
生じるものです。
それをどうコントロールできるかに、
人間の質が問われるわけですが、
自分はともかく、
友達?や目の前にいる相手が
そういう気持ちをコントロールできる相手なのか、
もしくは、どこまでならば、
コントロールできる相手なのか、
なんて、
われわれが完全に予想できるものではありません。
だから、もちろん、
それで完全に防止できるわけではありませんが、
少なくとも、他人に、
そういう気持ちを起こさせない配慮くらいは、
しておいたほうが、安全だと思うのです。